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小学校の一番の思い出

少年団活動自粛が続いていますが皆さん如何お過ごしでしょうか。
HPも活動報告が出来ず寂しいですが、更新が無くても毎日沢山の方に
アクセスを頂いています。
本当にありがとうございます。

 

佐藤コーチが小学生の時の思い出を載せてくれましたが
それを見て私も昔を振り返ってみました。
私の生まれは長野県川上村で山梨県、埼玉県、群馬県の県境にあります。
村の標高は何と1,300mで筑波山(887m)よりはるかに高く
冬はマイナス20度にもなりますが夏は涼しく快適です。
産業は農業で高原野菜のレタス、白菜の栽培が主で半年で稼がなければ
ならないので夏は夜中の1時半頃から出荷が始まります。
私も小学生の頃から学校が終わってからと休日に手伝いをしました。
そんな中、私の小学校は学年52名で男子は25名しかいませんでした。
ここからは自慢になりますが、その中で足が一番速かったのが私でした。
その頃私はこう考えていました。

 

「俺は一番なので勉強なんてどうでもいいんだ、とにかく足は一番なんだから」

 

と、頭もよくなく勉強もしないので下から数えた方がはるかに早かったのですが、
そんなことお構いなしに上から目線で皆を見ていました。
地区大会も無く他校との交流もなくお山の大将でいたのです。
後に中学で屈辱を味わうことになりますが、それまでずっとヒーロー気取りでいました。
運動会の話しですが、選抜の紅白リレー練習は昼休みやるので、
練習が終わってから給食になります。
午後の授業が始まっているのに紅白リレーメンバーは別の教室で昼食をとるのですが、

 

「俺は皆と違うんだ!」

 

と思い、この時の優越感は今でも忘れませんが最高の気分でした。
この小さな体験が今も自分の糧になっている気がします。

 

次回は中学時代 「ライバル出現、屈辱の2位」編 を書きたいと思います。

中嶋

  • 2020-05-13 (水) 10:14
  • コラム
  • 作成者:long jumper

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